仙台七夕まつりが8月6日~8日の3日間行われます!
たくさんの人が集まる仙台七夕まつりですが、
実は一度なくなりかけて復活したという歴史をもっているんです。
それに、「七夕」って7月のイメージなのに
8月に開催するのはどうしてなんでしょう?
これにもちゃんと理由があるんです。
行く前に知っておくことで、もっと仙台七夕まつりを楽しめそうだね♪
目次
仙台七夕まつりの由来
仙台七夕まつりの由来は、
名前の通り「七夕」からきています。
詳しくは『仙台七夕まつりの歴史』のほうで
説明していこうと思うので、
まずこちらでは仙台七夕まつりで飾られる
七夕飾りの由来や意味についてご説明します。
七夕飾りは7種類あり「七つ飾り」とも呼ばれます。
ひとつひとつに由来があって
願いが込められているんです。
仙台七夕の七つ飾りのうち 巾着 紙衣 折鶴 屑籠 投網が完成!あとは8/7短冊に願い事をかけば完璧です。(吹流しは完成済み) pic.twitter.com/HxgetU3b
— つれづれ (@sansyokusumire) 2012年7月12日
意味:書道や学問の上達を願う
由来:願いを文字にすることから
願い事を書くだけだと思っていた短冊にも
由来があったんだね。
意味:厄除け、裁縫の上達を願う
由来:病気や災いの身代わりに衣が使われていたこと、
織姫は機織りが上手だったのでそれにあやかる
意味:家内安全、健康長寿を願う
由来:鶴は長寿の象徴のため
意味:商売繁盛などお金での成功を願う
由来:巾着はお財布として使われていたから
意味:豊漁や豊作を願う
由来:幸運を寄せ集めるために、漁で網を使うから
意味:清潔さや倹約を願う
由来:整理整頓、物を大事にすることを意味するため
作った籠の中に七夕飾りで残った
紙を入れるみたいだよ。
意味:機織りや技術の上達を願う
由来:機織りで使う織糸から
七夕飾りの由来を知ると、
仙台七夕まつりの飾りを見る楽しみが増えますね。
仙台七夕まつりの歴史
それでは、仙台七夕まつりの歴史をご紹介します。
仙台七夕まつりの歴史がいつから始まったのか
はっきりとはわかっていませんが、
宮城の有名な武将伊達政宗が仙台七夕まつりを奨励したのが
始まりだと言われています。
今の仙台七夕は伊達政宗がつくったんだげど、戦国武将の政宗公があいな可愛いカラフルでちっけえもんを作り上げたって考えるとなんだかおもしぇなや
— 宮城のbot (@miyagi_no_bot) 2018年5月23日
伊達政宗が呼んだ和歌に七夕の行事のことが
書かれています。
戦国武将の辞世で最も好きなものは、これ。
曇りなき心の月を先たてて浮世の闇を照らしてぞ行く ──伊達政宗
いずれにせよ、当時の戦国武将というものはどれだけ和歌への造詣があったのか。またしても畏ろしく、〝はづかしく〟なってくる。
— 香月流霞 ex.たがみー (@tsukikage_oboro) 2017年9月17日
伊達政宗は文化人としても知られているよね。
この時の仙台七夕まつりは
7月6日夜ごろから笹を飾って織姫と彦星を祭り、
習い事や手芸の上達、豊作などを祈って
7月7日の朝に七夕飾りのついた笹を川に流していたそうです。
その後、歴史の変化や新暦の使用で、仙台七夕まつりが衰退し、
さらに第一次世界大戦後の不景気でますます衰えていってしまいました。
そんな時に、仙台の商人がこの不景気を吹き飛ばそうと団結して
華やかな七夕飾りを復活させたんです!
久しぶりの豪華な七夕飾りに人々はとても喜んで、
街中に人があふれたみたいだよ。
そこから恒例化して、七夕飾りのコンクールや
趣向を凝らした飾り付けをして盛り上がっていきました。
しかし、またしても太平洋戦争が起きてしまい
戦況が激しくなってきた頃に、七夕飾りはほとんどなくなってしまいます。
そして終戦後、復活をしました。
ここからが、今ぼくたちが親しんでいる
仙台七夕まつりなんだね。
でも、昔は7月6日~7月7日だったのに、
どうして今は8月6日から8日になったんだろう??
7月7日から8月7日に変わったのは、
伊達政宗がいた時代の暦は旧暦だったことが関係しています。
旧暦の7月7日は、新暦に当てはめると
だいたい1ヵ月のズレがあるので
今では8月7日頃になるんですね。
8月7日の前後に行われているのは、
江戸時代からの歴史を大事にしているからなんです。
まとめ
仙台七夕まつりには、
不況や逆境に負けない仙台の人達の思いや
歴史が詰まっていましたね。
七夕飾りの由来もどれも願いが込められていて
仙台七夕まつりの楽しみかたがまた増えましたね。
そこで、仙台七夕まつりの由来や歴史について
まとめました。